2026年4月10日、朝は雨だが
それぞれに日付がつけば日記、ないから雑記。最近はちょっと躍起になっていたので、ニュースレターのテンションもスローダウン。アップ・アンド・ダウンを繰り返しながら、行けるところまで。
雨のち曇り
にわかに仕事が活気づき、これまでの生活が一変、とまではいかずとも、割と生活リズムを再構築しないといけない今日この頃。そんなこんなで、いつもならとっくに書き終わっているニュースレターを配信日前日に書き出しました。
仕事が活気づいたと言っても、編集やライティングではなく、さりとて説明も難しい。近い将来、確実にAIに取って代わられるであろうその作業は、それはそれでたのしいものです。必要なツールを揃え、いかに無駄なく、スピーディに効率よく作業を終えるか。引き継いだ相手の手間がないように終えるのがキモ。まさにAIの得意分野である現作業。クリエイティブではないし、憧れられる類のものではないですが、性に合っています。
さて、今週はなにを書こうか。前回分でフォームを崩した感も否めず、しかし、そもそも崩すフォームなどなく。最近、津村記久子のエッセイ集を読んでいるのですが、そのなかで、断ろうにもすでにその期限すらも迫り、仕方なく週間の雑記でお茶を濁す、という文章があり、それに倣い、今回はここ最近の雑記を思いつくままに書き残してみようと思います。
YouTubeの再始動
完全に止まっていたYouTubeを久しぶりに収録しました。正確には、昨今流行りの「ビデオポッドキャスト」のほうが正しい気もしますが、YouTubeにアップすれば、それはYouTubeである。と同時にポッドキャストとして配信すれば、それはビデオポッドキャストとなる。
あくまで、わたしの雑な認識では、音声収録の現場を収録した動画を同時に配信することがビデオポッドキャストで、だから、それは動きの少ない動画、という認識でいます。なので、それがYouTube用でも固定カメラで登場人物の動きがない動画は、YouTube用でもビデオポッドキャスト的なのだという認識になります。が、YouTubeラジオというジャンルも存在しますので、つまりどうでもいいはなしです。
今期の放送大学
前期と呼ぶのかもわからないですが、最初に取った「初歩からの数学」と「経営学入門」は、ほぼ何もせずに終わりました。テキストを5ページほど開いただけで眠くなり、気がついたら試験も終わっていました。
では、なぜ今期も続けているのか。もちろん、学割が目当てだからです。しかし、それではあまりももったいない。そこで、なぜ「初歩からの数学」と「経営学入門」がダメだったのかを検証した結果、言うても大学だった、という当たり前すぎる落とし穴に気が付きました。
そこで、ギリギリ大学レベルでもついていけるものはなにか、シラバスを斜め読みした結果、「メディア論」であるとなり、今期は「メディア論」を勉強しています。といっても、ご想像どおり、まだほとんどなにもしていません。なぜでしょう。このニュースレター然り、わたしのやっていることは、メディア論の実践のはずなのですが、テキスト/テクストを読むと、すぐに眠くなる。「学問である」という顔をされると、途端に嫌になります。
それでいえば、さきほどのYouTubeとビデオポッドキャストも、メディア論的なんじゃないか、ということだけは考えています。
各種イベント
今年はとくにイベントへの出店はせず、じっとしていようとおもっていたのですが、YouTubeに誘った方から、逆にイベントに誘って頂き、はじめてのものだったので、出店することにしました。こちらは、またあらためてお知らせいたします。『メザメザメ 春』も5月に出る予定で、こちらもイベントを予定しております。同じく、詳細は追ってまた。
それで思い出したのが、「ロンバケ」こと、ドラマ「ロングバケーション」のなかで、木村拓哉演じる瀬名が、ひとの誘いには乗っかるというセリフ。ドラマをみていたのは、中学生くらいだったとおもいますが、そこからずっと誘われるよりも誘うことの多い人生で、そういえば編集者というのは常に誘う側だな、なんてことを考えたり、考えなかったり。まあ、あまり意味はありません。ただ、ひとの誘いには素直に乗っかる度量を持ちたいな、とはおもいます。
円卓の力点
よく、他人の視点になってとか、他人の靴を履く、とかとか、いろんな言い方をしますが、円卓に座ると一見皆が平等に見えて、しかしそこには様々な力関係があるんだなァ、と気が付きました。
誰もが主役になれるようで、やはり決まったひとが場を回し、気がつくと横のひととしか話していない。もっと時間が経てば、完全に誰とも話さずに、無になって場を眺めている自分がいる。ずっと、飲み会では我先にと喋り倒し、その場にいるひとをなぎ倒すような、ようはとてもめんどうな酒飲みだったので、そうして冷静になると、冷静になどなるべきではないとも考えてしまうので、引き続き飲み会には極力近づかいない生活を続けようとおもいます。
いま読んでいる本
ふと、本棚から鎌田慧『ルポルタージュを書く』を引っ張り出し、読み出したら、予想外におもしろかった。予想外とは失礼だが、もっと硬派な本かとおもっていたので、意外ではあった。といってもまだ読み出したばかり。しかし、この本をおもしろがれるのは、なぜなのか。こちらの意識が変わったからか。なにか、ほかに理由があるのか。といった自己観察は、ナルシシズムと等号で結ばれるのか。もっと単純に「自分」という視点を通して社会を眺めるわけだから、「自分」の変化にも敏感でいたいだけだと自分ではおもっている。ルポルタージュ── ポルトレ、ポートレート、肖像。
急に「ですます調」でなくなると、独り言感が強まります。『ルポルタージュを書く』は逆で、まえがきが独白調で、第一章に入って「ですます」の問いかけになったので戸惑ったのですが、最後に質疑応答があり、なるほど講演録なのかもしれない。しかし、その説明はざっと見渡した感じ、なさそう。
相変わらずの批評について
前段の本をもっと広く読んでほしい、だからブックレビューを書こう、という気持ちは微塵もなく、しかし自分が読んでおもしろいとおもった点は書きたいとおもう。それがなんと呼ばれるのかわからないが、まあ、下手な場合は「読書感想文」と片付けられるのだろうが、読書感想文の歴史も調べるとおもしろくて、という頓挫したアイデアをいま思い出した。
substackの使いかた
そういえば、これも書こうとおもって書いていなかったのですが、substackは「ブログ+ニュースレター」という特徴をもったメディアで、さらにSNS機能や動画、音声配信と実はてんこ盛りなのですが、そこは割愛。とにかく、ニュースレターだけど、ブログでもあって、なので配信を始める前の記事も読めるし、あなたが登録する前の記事も読めます。わたしの記事は、すべて無料です。トップ画面のリンクを貼っておきますので、ご興味あれば遡ってみてください。たぶん、ロゴあたりをクリックすると遷移するはずです。
ニュースレターの感想
最近、定期的に「読んでますよ」と言ってもらえる機会があり、ほぼ必ず「よくわからないけど」が付いてきます。やっている当人もよくわからないので、それは問題ありません。『ルポルタージュを書く』ではないですが、どこまでの説明が必要なのか、その塩梅こそが妙味。もちろん、深く理解した上でやったほうがよりよいが、無意識のうちにやったことが実は……というのが、わたしの考える妙味です。
たぶん、来週もこんな雑記になるんじゃないかとおもいます。そのうち、もうすこしまとまった文章も書きたいなとは思っています。引き続き、お付き合いいただけますと幸いです。



